今日は先日のリフレクションエキシビジョン2017のレゴシリアスプレイ体験会で作った、「2017年の私」と「2018年の私」を公開します。
まずは2017年の私
- 頭の中がモヤっと感でいっぱいな感じ
- 課長になってからちょっと周りの目線を気にする自分がいたなあ
- キラッとしたものはあるのに自分からは見えていない、見ないような位置に置いてる
- バランスを取るためにちょっと後ろ寄りに体重をかけて立っているので前に進んでない
- 油断するとバランスを崩して転倒してしまう
- 実際に倒れてた時もあったなぁ〜・・・なんて
次に2018年の私
- 自分の中に相反する存在があってそのままだと前に進めない
- 相反する存在をひとつの自分として昇華したい
- そうすることで前に進んでいけるようになる
- 追い風も吹いて、スキー板のようによく滑るから、スピード早く前に進んでいく
レゴが具体的な形になってしまった理由
レゴシリアスプレイは何度目かのチャレンジでしたが、以前から、レゴを作った時に、わかりやすい形にしてしまう自分がいました。今回も他の参加者の皆さんと違って私の組み立てたものは、かなりわかりやすい形になっていました。
以下この件についての私なりの考えです。
手に任せていない
ファシリテーターから「ブロックを組み立てるときは、頭で考えるのではなく手に任せて組み立ててみてください」という説明があったのですが、頭で考えたものをブロックで組み立てていたなと思いました。
なぜ手に任せなかったのか
今回のお題「2017年の私」「2018年の私」について、毎日ブログを書いていたことによって、ある程度考えていたんだなと感じました。ブロックを組み立てようとした際に、お題についてすでに考えて言語化されているものが頭の中にあると、言語を形に表す作業になります。
ブロックを組み立てながら言語化されていなかったものが言語化されていく
すでに言語化されているものを形に表すのもやり方のひとつだと思いますが、レゴシリアスプレイとしてはブロックを組み立てながら言語化されていなかったものが言語化されていく、もしくは、出来上がったなんだかよくわからないカタチについて対話することで言語化されていくのが醍醐味なんだろうなと思います。
レゴシリアスプレイをやるときはテーマが大事ってことなのか
普段あんまり考えてないようなこと、言語化する機会のないことをテーマにしておくことで、レゴシリアスプレイの効果を感じやすいのかなと思いました。
もしくは今回のテーマだったら「2017年の私」ではなく「私の2017年」だったとすると、カタチに表すときに私をカタチにするのではなく、2017年をカタチにしたのではないかなと思います。
これは人によってどのように受け取るか変わるところではあるかなと思いますが、日本語としてはこうなるのかなと。
- 2017年の私 → 主体は私 → 私を作る
- 私の2017年 → 主体は2017年 → 2017年を作る
うーん、そんなところまで考えているのは私くらいかもしれないですが、よく見ると、2つの書き方による違いはあるよなあと思いました。
素敵な明日を