泳ぐオダジン放送局

日々フラフラっと回遊しながら気づいたことをラジオでフリートークするようにお届けします。ラジオ好き、少年ジャンプ好き、ハンバーガー好き、ヒトが好き。※本ブログの内容は、私個人の考えです。所属する組織・団体とは関係ありません

続・ブログを書き続けた先に何があるのか

この投稿は7/18に書いています。

今週末も見事に子供達と一緒に寝落ちしたので週明けの更新です。m(_ _)m

今日はブログを書くことについての振り返りの詳細を書いてみます。

【目的はあるのかないのか】

まずは、ブログを書く目的です。一緒に振り返りをしたIさんは「自分のビジネスのお客様を増やすため」に毎週1回書いていたとのことでした。さて、私は一体何のために書いているのか・・・

以前からブログを書いていましたし、この日記も書いていましたが、言われてみれば明確な目的はなかったなあとノッケカラ思わされました。

「何となく良いこと書こうかな〜」なんて思いつつ、「書いたことにコメントが無いとイッチョマエにガッカリする」パターン、これたぶん世界的にみたら百万人単位で共感してもらえるんじゃないでしょうか。笑

今この日記を何のために書いてるのかは後述します。

【自分のためか他人のためか】

「誰かのためにに書いているのか、自分のために書いているのか」目的によってこの2つのどちらかに別れます。

ここはどちらが良いとか悪いとかではなく「ハッキリさせた方が楽になる」と感じました。特に中途半端に誰かのためになったらいいなあと思って書くことは書き続けることの妨げになると気づいたからです。

【いいねを求めるか求めないか】

なぜかと言うと、誰かのために書こうとすると、極自然に「反応が欲しくなる」からです。

そして、個人ブログにはそう簡単に反応がつかないワケです。友人や知り合いが共感して反応をくれることはあっても「自分が届けたいと思っているネットの先の誰か」からの反応がくるようになるためには、どこかでバズらないと難しいです。

反応が無いと徐々に「あ
あ、これ書いてる意味あんのかなあ・・・」と思い始め、「そもそも自分には誰かのためになるようなことって書けないんじゃないか・・・」となり、「何やってんだろ・・・」と我に返ってペンを置くことになります。←過去の私。爆

この話をしていて面白かったのは、「自分のために書いていたとしても、いいねがあると嬉しいし、どこかで期待している自分がいる」と言うことです。

私は承認欲求が強いので、無意識に「いいね」を求めているんでしょう。わかってはいましたが、なんだか恥ずかしい気持ちになりました。と同時に、このプロジェクトが始まってから書き続けられているのは「いいね」を求めていないからなんじゃないか!?と気づきました。

ブログ仲間と一緒に強制力と連帯感が働く中で、ある意味作業として毎日投稿することで、いいねを求める自分から解放されました。

なんだかひとつオトナになった気持ちです。森本さんありがとうございます!

【ブログなのか日記なのか】

そもそもブログって何だっけ?とウィキペディア先生に聞いてみました。

ブログ (blog) は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えて記録(ログ)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でウェブログ (weblog) と名付けられ、それが略されてブログ(Blog)と呼ばれるようになった[1]。その執筆者はブロガー(blogger)、個別記事はブログエントリーと呼ばれる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ブログ

広義ではブログの中に日記を含めてもいいとも書いてあります。ちなみに、私の感覚では、こんな感じです。

ブログ:投稿者が世の中のことに対して自分の意見を書き、それを誰かに向けて訴えている

日記:投稿者は自分に起きた出来事について自分の気持ちを書き綴っている

これはどちらかに決める必要は無いと思いますが、どちらに軸足を置いて書くのかを決めた方が「何を書くのか?」でブレることが減ることと、今回のプロジェクトが始まってからは、自分で日記と決めたことで「ネタを考える」作業から解放されることに気づきました。何事も目的やスコープを決めることって大事だなと思いました。

【公開か非公開か】

日記を書くなら非公開で良いのでは?
手帳などの紙媒体でも良いのでは?

日記を公開する意味について問われて考えているときにこんなことを言われました。

「紙媒体や非公開の日記だと秘匿性の高いことを書くことができるよね」

「公開されていることで仕事のことなど、あったことをそのままに書けなくなってしまうのは日記としてどうなのか」

自分では全く考えていないことだったので、この発言で新しい気づきを得ました。

私が思ったのは「公開することで、自分の体験や思いを抽象化・概念化することに繋がっているのではないかな」でした。起きたことや思ったことをそのままに書けないことが、こんな風に作用していると思えたのは大きな収穫でした。

【誰かに見られることを意識して文章を書くか書かないか】

一緒に振り返りをしていたIさんが、更新をストップしてから数年経つブログに書いていたことについて、最近知り合った人から「読みましたよ〜、見てますよ〜」と言われることがあるとおっしゃっていました。

やはり公開する以上、文章としてはある程度の読みやすさ・わかりやすさを意識して書いておく必要があるなあと思いました。

【実名かペンネームか】

前述のIさんのお話からすると、仮に日記として自分のために書いていたとしても、実名で書いておくことの意味はあるのかもしれないなと思いました。

個人的には、ちきりんさんのようなペンネームゆえのミステリアスさ?のようなものを残しておこうと思っています。笑

【文字だけか画像も使うか】

私はポリシーとして投稿時に画像を使わないようにしています。そうすると記事をシェアしたときにも文字しか表示されません。

普段、自分の日常を写真に撮ってアップした時には、そこそこの「いいね」がつくのですが、自分の日記をシェアしたときには一桁くらいしかつきません。

人は視覚的に入ってきた情報は瞬時に判断しているんだなということがよくわかります。やはり見てもらおうと思ったら、ビジュアルイメージは大切なんだなと言うことですね。

と同時に、テキストで書いていても「いいね」をしてくれる人は、きちんと内容を読んで押してくれている人だということがわかります。


とここまでで振り返りの詳細はおしまいです。いやー、こんな長文誰が読むんでしょうね。笑

いいんです、読まれなくても。

今回の振り返りで私のブログに対するスタンスがわかりましたので記録しておきます。

・自分の毎日の振り返りのため
・自分のために書くので「いいね」は求めない
・日記に軸足を置いて書く
・内容はその日の出来事の内、一番印象に残ったことについて書く

そして、これを書き続けた先には経験学習サイクルを回して成長した自分がいることでしょう。笑

素敵な明日を