泳ぐオダジン放送局

日々フラフラっと回遊しながら気づいたことをラジオでフリートークするようにお届けします。ラジオ好き、少年ジャンプ好き、ハンバーガー好き、ヒトが好き。※本ブログの内容は、私個人の考えです。所属する組織・団体とは関係ありません

地域のお祭りに参加して気づいた初参加者への不親切さの意味

今日は地域のお祭りに参加してきました。長男が小学校1年生になったことをきっかけに、地域の子供会に入ったので案内が回ってくるようになったのです。

妻と話していて気づいたのは、「初参加者にとっては、わかりにくい案内だよね」ということでした。

例えば【集合場所:町内会館】「えっ、どこ!?」みたいな感じです。

おそらく、以前から参加している人たちにとっては毎年恒例行事なので、改めて書いてなくてもわかっていることなんだと思いますが、初めて参加する人にとっては、「えっ、もうちょっとkwsk!」って突っ込みたくなる案内なのです。幼稚園や小学校から届くお知らせも、「むむっ!?」っとなるわかりにくいものが多いのですが、学校系はどちらかというと、いろいろ書いてくれてあるんだけど、ごちゃっとしていてわかりづらい感じです。地域の案内は省略しすぎている感じです。

面白かったのが、お祭りの最中も、誰かが号令をかけたり、次は何ですよ〜と案内したりすることがほとんどなく、なんとなーく場の流れで進んでいたことです。もちろん関係者の皆さんはちゃんと準備されていて、イベントとしては滞りなく進んでいました。ですが、これも「初参加者にとっては不安な気持ち」になるなあと感じました。

そんなことを感じていた時に、夕張で地域コミュニティの話しをしていた時のことを思い出しました。

おそらく、昔はこんな状態だったんだろうと思います。

・地域に新しく人が来ると迎え入れる隣近所の付き合いがあった
・井戸端会議的な社交の場で情報が共有されていた
・お節介な人が聞かれる前に教えてくれていた
・コミュニティの中にリーダーシップを発揮する人がいた
・隣近所で助け合わないと生活していけなかった

こういうコミュニティだと、曖昧な案内でも情報共有を補完することができるし、受動的な人にもプッシュ型で情報が届いたんだろうなと。

でも、今はこんな状態になっているよなあと感じます。

・隣近所で付き合いがない(地域に知り合いゼロもありえる)
・社交の場がない(あってもウェルカム感がない)
・お節介がウザがられる(それを怖がって行動しなくなってる)
・リーダーシップを発揮すると会長やってみたいなことになる(面倒臭いと思っちゃう)
・隣近所と助け合わなくても生活できる(SNSや地域以外のコミュニティがあればOK)

こんな状況変化がある中で、伝達されてくる案内文だったり、お祭りの運営を昔ながらのやり方でやっていたら、そりゃ合わないところが出てくるよねと。

【そもそも地域のコミュニティをどんなものにしていくか?】

こういうことを考える場を作って、地域の人たちと対話を進めて行ったら、なんか変わるのかな〜。

素敵な明日を