今日は伸び放題になっていた庭の雑草取りをしました。我が家はマンションの1階で、そこそこな広さの庭が付いています。入居当時はボロボロだったのですが、1年半くらいかけて裸足で歩けるまでになった2010年8月当時の写真がこちらです。
当時の芝生育成の様子は昔のブログをご覧ください。入居当時のボロボロぶりは1番最初の記事に載っています。
雑草取りはマインドフルネス?w
雑草を取りながらこんなことを考えていました。
- あ、今日はこれをブログに書こう
- そういえば昔、ブログに書いてたっけなあ
- 最近は放ったらかしてたなあ
- なんでだろうなあ
こんな感じで黙々と雑草を取りながら延々と考えていたら、いつのまにか「今年から手入れを再開してみよう」と決意していました。w
何かに集中している中で自分をメタ認知する(客観視する)って、こうやって自然と鍛えられていたのかもしれません。
雑草取りしながらダイバーシティを考える
自分でもこんなことを考えながら雑草取りするってちょっとおかしいかもしれないと思いつつ、雑草を取りながらこんな思考をしていました。
- 庭をひとつの環境だとして
- その環境から芝生以外の植物(雑草)を排除しようとしている私
- ああ、私はこの環境において独裁的なリーダーだなあ
- 匂いの臭いドクダミは花が咲いてようと容赦なく引っこ抜く
- 引っこ抜きづらい笹は園芸鋏で容赦なくブッタ斬る
- 繁殖力の強いカタバミ(クローバーっぽいやつ)はガンガンむしり取る
- なんという暴力的なリーダーなんだ
- 庭という環境において多様性を排して芝生のみを求める私
- ダイバーシティってなんだろう!?
- 私が雑草と呼んで排除しようとしているこの植物たちと芝生を共存させることは出来ないのだろうか??
- 何か妙案は無いのだろうか???
- 悶々と考えながらも黙々と雑草を抜き続ける私
- 待てよ、そもそも私は何を得たいのだろうか、何を欲しているのだろうか
- 私は「裸足で歩ける芝生の庭」が欲しいのだ
- なぜ欲しいのか?
- 一面緑の芝生の庭は歩いても眺めても気持ち良いのだ
- 我が家の庭の目指すべき姿に雑草は不要なのである
- だから私は雑草を抜くのだ
- そして除草剤を撒き、雑草が生えてくることを拒むのだ
45リッターのゴミ袋を2つ満杯にするほど雑草を抜いて、私がわかったことは、多様性のある組織になるかどうかは、組織のリーダーが多様性のある組織を目指しているかどうかにあるということでした。
植物を育てているといろんなことを考えるきっかけをもらえます。また書きます。
素敵な明日を