今日はまたしても後輩と濃くて深い話をしておりました。連日のようにこんな対話ができるなんて、私は本当に恵まれているなあと思います。
今日話している中で、最近思う自分なりの友人の定義について喋っていたのですが、ここにも記録として残しておきます。
友人とは自分には無いものを自分にくれる人
ここ最近、自分にとっての友人って誰だろうなあと考えて顔が浮かんで来る人たちを眺めていると、共通しているのは、自分には無いものを持っていて、それを自分にシェアしてくれる人だなあと言うことに気がつきました。
もちろん相手からもらうばかりでなく、自分も相手に何かシェアできていることもその裏側にはあります。
同質性がないわけではない、異質なところもあり同質なところもある
自分には無いものを持っているって言うと、自分とは異質な存在のように聞こえてしまうのですが、友人だなと思える人たちは、異質なところもある一方、同質だなと思えるところもあったりします。
例えばそれは、こんなところです。
- 1人の人として存在を認める
- 良いものはお互いにシェアする
- 人の意見も聴き、自分の意見も言う
- 良いものは良い、良くないものは良くないと言う
- フィードバックする
- 何かあったら協力する
こうやって書いて見て、自分に対してこういうことをしてくれる人といることが居心地が良く、自分も相手に対してこういうことが出来ると居心地が良いんでしょうね。居心地が良いという言葉にやや違和感がありますが他に言葉が見つからないのでこのまま行きます。w
自分の知らないことに触れる楽しさって、いつから持っているんだろう
昔からこんな感じだったなあと思いつつ、いつからこういう感覚を持っているんだろう?と問われると明確な答えが出てこない自分がいます。
同年代や後輩に自分よりスゴいやつがいっぱいいるってことに気がついたのは高校時代だったなと思います。
シェアしあったり、フィードバックしあったりを自分で意識して明確にやり出したのは、5年前にリフレクションナイトに関わり始めてからになるんだろうな。
と書きながら、いずれも井の中の蛙から、外に出て大海を知ったタイミングにあったんだなと気づきました。
同じ趣味や同じことが好きな人との会話も楽しいですけどね。
そういえばこんな記事を書いていたことに気づきました。
オトナになってからのトモダチっていいもんだな - 泳ぐオダジン放送局
素敵な明日を