今日はリフレクションナイトのメンバーとゆったり対話できました。そこで話題になったことについて自分なりに考えてみたので書いてみます。
プロ化するとは意味付けし、主張すること
リフレクションナイトは私も運営に関わらせてもらっている、主に人材育成・人材開発に携わっている人が集まるコミュニティ活動です。
そのリフレクションナイトの活動で、当時、東京大学准教授だった中原淳さん(現 立教大学教授)のところに突撃訪問したことがあり、その際に中原さんが話題にされた「プロ化するとは意味付けし、主張すること」が今も印象に残っているんだよね、とメンバーの1人が話してくれました。
※↓この時ですね
どのようにリフレクションをうながすか?:リフレクションをテーマにした自主コミュニティ!? | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net
意味付けする
- その仕事、何のためにやってるの?
- あなたは何を成そうとしてるの?
普段仕事をしているときにこんなことを考える機会ありますか?おそらくなかなか無いのではと思います。機会が無いというよりも、その必要が減ってきているのかなと思います。
仕組み化、マニュアル化された仕事の中では意味を考えることよりも、決められた手順やルール通りにやることが求められます。数値目標の達成を強く求められる環境の中では、数字の達成が第一で、考えるよりも数をこなすことに目が行きがちです。
また、それらの仕事や状況下においては「意味付けがそもそも難しい仕事だから、意味付けなんてしてしまったら、意味付けられなくて、そもそもなんで働いてるんだろう?みたいな気持ちになって、人が離れてしまうのではないか・・・」のような怖れがあるように感じます。
「本当は何がしたいんだろう?」を考えることと「今やっていることにどんな意味・価値があるんだろう?」を考えることは別なんですよね。でも、今やっていることの意味付けができないと、本当は何がしたいんだろう?と考えてしまうのかなと思います。
意味付けしようと思ったときに、「私の仕事なんて大したことないんです」と思ってしまうとしたら、他人や周囲からどう思われるか?どう評価されるか?ということに囚われてしまっていないかどうか、考えてみた方が良いと思います。
意味付けとは、私にとっての意味付けであって、それ以上でもそれ以下でもないと思います。Aという仕事に就いている人が10人いたら、10通りの意味付けが存在する可能性があり、10通りの意味付けがあって良く、その10通りの意味付けに優劣はありません。そしてあるときにAという仕事にBと意味付けしていた人が、時が過ぎて改めてCと意味付けするようなケースもありえます。
主張する
意味付けとは私にとっての意味を考えることであり、出てきた意味は十人十色、自分の中にしか無い、唯一無二のものであるとするならば、それを周囲に主張しなければ伝わることもなく、理解してもらえることもありません。
意味付けをしている人と、していない人の両方がいたとすると、主張していなければどちらも意味付けしていない人として認識されてしまいます。
主張するとは、言葉で語ることはもちろんですが、それだけにとどまらず態度や行動で見せること、生き方で見せることなども主張に含まれます。芸術家やスポーツ選手は舞台上や試合の中でのパフォーマンス、生み出した作品を通して主張しています。
価値を感じとる相手がいるか
プロという言葉の定義は様々あると思いますが、「価値を付ける、生み出す」ことにあると私は思います。
- 自分が意味付け主張したことに価値を感じとってもらう
- 誰がどんなことに価値を感じるのか考えた上で作り出す
価値のあるものの生み出した方にはこの2パターンあるのではないかなと思います。どちらが良い悪いではなく、どちらも「価値を感じる相手がいる」ということです。
この相手が多ければ多いほど、ビジネスとしては拡大するでしょうし、影響力も広がっていきます。相手が少なかったとしても大きな価値を感じとってもらえたらニッチな領域で深く刺さっていくことができます。
「意味付けして主張する」とは、自分のやっていることの価値を考え、その価値を相手に感じとってもらえる機会を作ることができているか?と言うことなのかなと思いました。
素敵な明日を