泳ぐオダジン放送局

日々フラフラっと回遊しながら気づいたことをラジオでフリートークするようにお届けします。ラジオ好き、少年ジャンプ好き、ハンバーガー好き、ヒトが好き。※本ブログの内容は、私個人の考えです。所属する組織・団体とは関係ありません

壁を乗り越えた先にある楽しさに気づくには

この記事は8/21に投稿しています。

今日、我が家の長男が、自宅から2kmほど離れた場所まで自転車に乗っていくことができました。

自転車に乗ること自体は幼稚園の年長でクリアできていたものの、なかなか長距離かつ公道を走ることにはチャレンジする機会を作れず、作ってもあまり乗り気になってくれず、という状況でした。今日も久しぶりかつ、初体験の距離を走ることに対して、あまり乗り気ではなかったのですが、走り終わった後に、自分から

「自転車で走るの楽しいね」と。

ジーンときました。

たった一つの体験が、自信になって、考え方・価値観がガラッと変わる(新しく構築される)瞬間に立ち会うことができたわけです。

私がポイントだなと思ったのは、

【体験は自主的なものでなくても良い】ということです。

壁を乗り越えることや、自分が成長することを語るときに、合せて出てくることが多いと感じるのが、「取り組みが自主的・主体的かどうか」です。

確かに自分の壁を越えたり、成長したりするときに、自分からその一歩を踏み出すことは大切だと思いますし、自分から踏み出せるようになることは自律的に成長できるようになるためには必要な要素だと思っています。がしかし、「非主体的な動作の連続が主体性を生み出す」とも言われるように、強制的にやらされることから始まっても良いじゃん!?と思うわけです。

強制的にやらされ続けて終わってしまっても良くないとも思うので、強制的にやらされるところから自主的・主体的に取り組めるようにマインドチェンジを促すことこそが取り組むべきところなのかなと。

先日社内研修に参加していた受講者から言われた

「強制だったら参加するけど、任意だったらわざわざ参加しない」という言葉からも「強制的にやらせる」から始めることの必要性を感じていたところだったので腑に落ちた感じです。

そんな私は子供のころ、なかなか壁を乗り越えない人だったので、自転車に乗れるようになったのは小学校4年生からでした。大人になって、30歳を過ぎてから、自分の成長という意味での壁を乗り越える体験を、自ら進んでできるようになれて本当によかったなと思っております。

素敵な明日を