泳ぐオダジン放送局

日々フラフラっと回遊しながら気づいたことをラジオでフリートークするようにお届けします。ラジオ好き、少年ジャンプ好き、ハンバーガー好き、ヒトが好き。※本ブログの内容は、私個人の考えです。所属する組織・団体とは関係ありません

オリンピックを見ていて気づく勝負してみたい気持ち

今日はピョンチャンオリンピックの閉会式でした。ブログにはほとんど書いていませんでしたが、期間中はテレビ中継でいろんな競技を見てました。オリンピックを見ていてふと思ったことを書いてみます。

勝ち負けや順位のつく世界で戦ってみたい気持ち

今までにスポーツ中継を見ていて、こんな気持ちに気づくことなかったのですが、今回初めて思いました。

今の自分の日常には勝ち負けがつく出来事はなく、順位がつく出来事もありません。例えば営業のような仕事だと、売上ナンバーワンのようなわかりやすい成績や順位が出ますが、人材開発の領域にはそういうものがありません。競争意識みたいなものが自分にもあるんだなあと感じました。

これまで勝負の場に立つことがほとんどなかった

勝負の前に「あ、この人には勝てないな」とか、「あ、この分野では勝てないな」のように考えてしまい、そもそも勝負の場に上がらないでいる自分を思い返しました。「自分よりスゴイ人たちがいるならその人たちに任せちゃえばいっか」のように考えて、自分はまた違ったところ、人がやってないことで何かやろうかなと思うことが多いです。

勝負から逃げるというよりも、何かを突き詰めたことがない

例えばオリンピックの舞台で活躍するような選手たちは、自分の競技と向き合って、突き詰めて取り組んでいます。スケートの羽生選手が競技後のインタビューでこんなことを語っていました。

「スケートにかけてきてよかった。もうちょっとだけ自分の人生をスケートにかけたい。とりあえずスケートをやめるつもりはない」

羽生結弦「もうちょっとだけ自分の人生をスケートにかけたい」 "魂の4分半"から一夜明け語った将来【平昌オリンピック】

世界の舞台で勝負していたり、その道を極めていくような人は、自分の人生をかけて何かに取り組んでいるんですよね。

ちなみに「人生をかける」と言う言葉には何だか悲壮感のようなものが漂って見えるなと思うので、「自分の時間とパワーを注ぐ割合を高くする」のような言い方の方が合うように思います。(※羽生選手は今回まさに人生をかけてと言うような状況だったんだと思います)

日常を何気なく過ごしていると、何かを突き詰めて取り組むような状況が訪れることは自然には起きないんだよなあと。

人生をかける、突き詰めてやる、そのスイッチは自分の意志決定

小さい頃からやっていて気がついたら人生をかけていた人もいると思いますが、そう言う人はレアだと思いますし、そう言う人もおそらくどこかのタイミングで「私はこれに人生をかけていたんだ(いくんだ)」と自覚したタイミングがあるんだろうなと思います。

何かに取り組み始めるキッカケは人それぞれですし、どんなキッカケから始まっても良いと思います。でもそのことに人生をかけるかどうかは、「自分はこれをやりたい」「自分はこれをやるんだ」と意志を持って決めて取り組み始める(スイッチを入れる)ことで「自分の時間とパワーを注ぐ」ようになるし、「自分の言葉と気持ちと思考と行動が一致する」んだなと思います。

そのスイッチは一気に押すこともあるし、ゆっくりジワジワ押すこともあるよなと。

 

読み返すと当たり前だよなあと思うことしか書いてないですね。でも書いていて思うのは、当たり前のことって、意識して目を向けないと、放置されてしまっているんだよなと思ったので、書き残しておくことにしました。

 

自分自身のことについては、今の自分の領域でスイッチを押せない自分がいるのだとしたら、新しい領域に出てみるのが良さそうだなと感じています。

 

素敵な明日を