今日はブログ仲間の駆け出し眼鏡さんの書いていたこの記事を読んで気づいたことを書いて見ます。
「好きなものは、全部好きじゃなきゃいけない」という感覚|駆け出し眼鏡|note
好きなものは全部好きじゃなきゃいけないのか
駆け出し眼鏡さんの記事によると、例えば、あるミュージシャンのことが好きだとして、そのミュージシャンの曲はどんな曲でも全部好き!と言ってしまう感覚に違和感があるよねと。好きなミュージシャンの曲でも自分にハマらない曲ってあるよねと。
「スキだけど、キライなところもある」くらいが丁度いい
駆け出し眼鏡さんのこの言葉は名言です。
私の感覚ですが、あげあしとり的なやりとりが多くなるのって、好きなものには自分が嫌いだと思う要素を持っていて欲しくないという気持ちを逆手に取ったやり方なんじゃないかなと思いました。
完璧さを求め過ぎてしまうと窮屈になります。聖人君子にはなれないし、なる必要もないと思うのです。不完全さを認め合える、寛容さを持っていたいなと思います。
相手から受けたネガティブな印象を相手に伝えることイコール嫌いではない
以前、ピア・メンタリングのときに、私が発言した内容について、メンバーから「愚かだ」と言われたことがありました。(詳しくは下部リンク先ご参照)
「愚か」のようなネガティブな印象を相手から伝えられると、「うわっ・・・嫌われたかも・・・orz」と思ってしまいがちです。「嫌い」と言われたわけではありませんし、「嫌い」と言うニュアンスが含まれていたわけでもないのに。。
おそらくですが、好きと言う気持ちはポジティブな印象の積み重ねで、嫌いと言う気待ちはネガティブな印象の積み重ねにあると潜在的に思っているのではないかなと。
ただ単に「私はこんな風に感じたよ」と伝えているだけ
「愚か」と言ってもらったあとのやりとりの中で、「おだじんさんの言動に対して愚かだと感じた、ただそれだけ」と言われて、ハッと気づきました。
自分にとってネガティブなキーワードを聞き取った側が、好きとか嫌いとか勝手に上乗せして汲み取っているだけなんだなと。
素敵な明日を