泳ぐオダジン放送局

日々フラフラっと回遊しながら気づいたことをラジオでフリートークするようにお届けします。ラジオ好き、少年ジャンプ好き、ハンバーガー好き、ヒトが好き。※本ブログの内容は、私個人の考えです。所属する組織・団体とは関係ありません

新卒で入って約15年働いた会社を1年かけて退職した話

今日は明日の新しい職場への初出社を前に、新卒で入って約15年勤めた会社を退職したことについて書いておきます。

退職を宣言してから退職するまで1年間の概略

2018年1月に退職する意向を上司に伝え、そこから改めて仕事と向き合い、自分と向き合い、6月に人事役員と社長に報告して決意を固め、7月から次の仕事をどうするか本格的に動き始め、いろんな人と会い、話をして、一緒にやってみて、悩みながら考えて、10月に具体的な話を進めさせてもらうことができ、2019年1月からの入社を決め、現職の仕事の引き継ぎをしつつ、最終出社日前日まで担当する研修をやりつつ、お世話になった人に挨拶をしつつ、12月最終営業日を最終出社日として退職しました。

最終出社日を終えました - 泳ぐオダジン放送局

どんな15年だったのかの概略

2004年に新卒で入った会社はIT企業の中でもSIerシステムインテグレーター)と呼ばれる会社です。ITエンジニアとして入社し、客先に常駐していくつかのプロジェクトを経験しました。仕事は楽しかったし、ITも好きなのですが、エンジニアとして技術的な領域を探求して高みを目指す思考と行動になれず、2年目の終わり頃から悶々としていました。

得意だと思っていたコミュニケーションや人間関係づくりで上手くいかないことが続き、3年目の後半にメンタル不調になって倒れて1ヶ月休職しました。

復職してからは、ITエンジニアとしての現場仕事を離れて、技術部門の秘書のような役割を担当させてもらえることになり、やらせてもらえる仕事をとにかくやりました。資料作り、フロア増床、フリアド導入、社員要望のヒアリング、キャリアプランの更新、中途採用、パートナー企業との窓口などなど。仕事とは別に社員代表もやりました。

いろんなことに取り組む中で偶然、社員育成や研修の仕事に出会い、自分なりに必要性や取り組む意義を見つけることが出来て、その気持ちと考えを伝えた結果、研修部門を作ってもらえることになりました。

そこから9年間(最初の4年間は研修以外の業務も兼務しながら)は研修・人材部門で社員研修の企画・設計・開発・実施・評価を主に担当していました。ここ2年はチームのマネージャー(課長職)も担当していました。

キャリアは偶然がつくる、偶然を計画的に引き起こす

新卒採用で就職するときには「やりたいこと」なんて全くありませんでした。ちゃんと考えることもせず、兄貴が受けた会社を教えてもらって片っ端から受けに行きました。そのひとつが入社した会社でした。

なんとなくITが好きだからとか、社長や会社が面白そうだからとか、採用担当の人が素敵だったからとか、もう本当に今思うと氷河期最後と言われていたあの時に良く内定をもらえたよなと思えます。いや、氷河期じゃなくても採用されないんじゃないか。。w

案の定、ITエンジニアとしては挫折してしまいましたが、社員研修や人材育成という分野と出会えて、その領域に関わる人たちと出会えて、社内で実践できる機会を作ることができて、インストラクターやファシリテーターとして人前に立てるレベルになることができました。本当にラッキーだったと思います。

 

このラッキーが起きたのは、たまたま参加したセミナーで知ることができた、米スタンフォード大学のクランボルツ教授の提唱されている「Planned Happenstance Theory」が大きく影響しています。このセオリーを知ってから今もずっと意識して偶然が起きるような行動を続けています。

セミナーを運営されていた旧グローバルナレッジ社の皆様、セオリーを紹介してくださった当時東京大学准教授だった中原淳さんのおかげです。ありがとうございました。

※Planned Happenstance Theoryについてはこちら

「計画された偶発性理論」とは? - 『日本の人事部』

退職した会社は自分にとっては良い会社だった

  • 社員の話をちゃんと聞いてくれる
  • チャレンジさせてくれる
  • 人が良い
  • 年々、環境面や制度・仕組みも充実している
  • 経営的に右肩上がりの成長を続けている

既に退職した今、改めて振り返ってみても良い会社だったなと思います。入社した時は200人いないくらいだったのが、グループ合わせて2,000人くらいの規模まで増えて、拠点も増えて、研修センターもできて、社外の人たちに驚き喜んでもらえるような食堂もできて、私にとってはとても良い会社でした。

退職や転職の話をいろいろな人としてきた中で印象的だったのは、望まない退職や転職をされている方がたくさんいることです。

会社の業績不振によるもの、会社の吸収合併に伴うもの、ハラスメントによるもの、金銭によるもの、人間関係によるもの、理由は様々ありますが、続けたかったけど会社の状況で辞めざるを得ない状況になってしまう人はたくさんいます。

そういう意味では15年もの間、一社で働き続けることが出来たということ自体、私は恵まれていたのだなと思います。そして、そう思えば思うほどに、退職しない方が良いかな・・・このまま居続けることは自分にとってどうなんだろう・・・という迷いの間で揺れ続けていました。

ちなみに以前こんなエントリーもしていました。

新卒で入った会社に13年勤めている面白さ - 泳ぐオダジン放送局

退職までに考えたこと、気づいたこと

もちろん日常の中には嫌なこともありましたし、嫌な人もいましたが、どこに行っても大なり小なり嫌だなと感じることはあると思うので、会社を退職する理由になるほどのことではありませんでした。

退職を考え始めるキッカケとなったことはいくつかありましたし、その度にいろいろなことを考えました。

  • 自分のやりたいこと
  • 自分の好きなこと
  • 自分の得意なこと
  • 自分のやりたくないこと
  • 自分の嫌いなこと
  • 自分の苦手なこと
  • 自分が成し遂げたいこと
  • 自分の提供できる価値
  • 誰にどうなってほしいのか
  • どんな人と働いていきたいか
  • どんな風に働いていきたいか
  • どんな環境で働いていきたいか
  • どうやって稼ぐか
  • どのくらい稼ぐか
  • 家族との暮らし
  • 5年先、10年先、20年先の自分

「働いていきたいか」と書いているところは、「暮らしていきたいか」と読み替えて考えることもありました。

ちなみに、上に書いたことについて、全て明確な答えを出せたわけではありませんでした。考えてみた結果「今の自分にはまだ無いんだな」と気づいたこともありました。その1番は「自分が成し遂げたいこと」でした。

退職の話をしたときに「起業するの?」と何度も聞かれました。「起業しちゃえよ!」と背中を押してくれる人もいたりしました。私の中の理解としては、何か成し遂げたいことがあって、実現するための手段のひとつが起業なのだと思っています。起業しようとしている人たちの話を聞いていたときにその理解を確かめられたのと同時に、あぁ自分にはフツフツと湧き上がってくるものが今はまだ無いなあ・・・という感覚が明確になりました。

会社の中で自分が担当していた仕事においては、9年前に部署を立ち上げさせてもらった時から目的を持って取り組んでいましたし、そこに意志もやりがいも持って取り組み続けてきました。

でも、いろいろ考えている中で、ふと思ったのは、目の前の1人1人、ひとつひとつの出来事には真剣に向き合って取り組んでいるものの、大局的に見ると「こなしている自分」「ルーティン的になっている自分」がいることに気がつき始めました。あぁ、もしかしたら、この先の自分にワクワクしていないなぁ・・・と。

コンフォートゾーンに居続けると精神的に死ぬ

以前、セルフマネジメントについて教わったときに、「コンフォートゾーンに居続けると精神的に死ぬ」と言う話を聞きました。他にも同じような話を何度か聞いたことがありました。

「1社で働き続けること=コンフォートゾーン」ではありません。そうなるケースもあると思いますが、そうならないように工夫することもできます。

15年働いてきた中で、仕事も環境も一緒に働く人も自分の役割も、どんどん変わってきました。自分で選んだチャレンジも、会社から与えてもらったチャレンジもたくさんありました。もちろん良い面ばかりでなく、メンタルダウンもしたし、大失敗もしたし、実現できなかったこともありました。

5,6年前からは社外に活動の場所を拡げて、リフレクションナイトというコミュニティの運営に携わるようになりました。「この人スゲー!」と思う人たちに囲まれながら、いろんなことに飛び込んでみたり、自分からやってみたりしました。

コミュニティ活動を通じて知り合った人たちと、さらにその枠外でもいろいろやってきました。社外の人に向けた研修やワークショップの場に立たせてもらうこと、その企画段階から携わらせてもらうことなど、複業としてやらせてもらう機会も少しだけですがありました。(もちろん当時の上司には相談の上)

社外でのチャレンジも続けてきましたが、それでもやはり1日の1/3の時間を費やすことになる会社での仕事が占める割合は大きかったです。やりがいもあるし、目の前のことや人には一生懸命になってしまうから時間的にだけでなく、精神的にも占める割合は大きかったです。

 

改めてこうして書いてみて自分でも思いますが、そんな風に仕事や社外の活動ができていたこと自体、すごく有難いことだったと思いますし、見方によってはコンフォートではなくてチャレンジャブルな状況として捉えることもできるよなと。

 

それでも自分にとっては、コンフォートゾーンに思えてしまったんだなと。

 

2018年6月頃だったと思いますが、社外のとある方に退職しようと思っていると話していた時に「今の自分の状況をコンフォートゾーンだと感じている」と口にしている自分がいました。「あぁ、小田川さんはその状況をコンフォートゾーンだと感じているんですね」と伝え返してもらった場面をハッキリと覚えています。

応援・叱咤・期待・感傷を乗り越えて

自分自身の都合で自分の働く環境を変えたいと思って決めた退職・転職を応援してもらえたことは、自分自身の決断の後押しになりました。応援してくださった皆さんありがとうございました。

もちろん厳しいご意見もいただきました。「途中で投げ出すのか!?」「やりきったのか!?」「何をやるんだ?明確になってなくてどうすんだ!?」「ここでいくらでも作っていけるチャンスあるだろ!?」「せっかく積み上げてきたのに手放してどうすんだ!?」ひとつひとつの指摘は、自分に対しての期待やこれまでのことを評価してくれていた証と思って受けとめました。

「寂しい」「残念」「ずっといるものだと思っていたので悲しい」こんなコメントもいただきました。そのひとつひとつが本当に有り難かったですし、胸に沁みました。

そんなやりとりを繰り返す中で、これまで支えてくれていた人たち、自分が関わってきた人たちのことを裏切るような気持ちも湧いてきました。長く勤めれば勤めるほど、良い思いがあればあるほど、裏切りの気持ちは強くなるのではないかと思います。

さまざまな感情が湧いてくることによって起きる自分の中の迷いは、自分の意思を確認するための試練のようなものなのだと感じました。

やりきった充実感よりも整理がついてスッキリした感じが強い

2018年1月に退職することを決めてから12月末まで1年間、「それでも退職したいのか?」という問いに対して、最後まで「はい」と言い続けてくることで、自分の中のゴチャゴチャしたものが、ゆっくり時間をかけてザーッと流れていったと思います。

充実感がないわけではありませんが、それよりも整理がついてスッキリした感じが強いです。過去への思いが強すぎるわけでもなく、これからのことに対する意気込みが強すぎるわけでもなく、自然体というのか、ニュートラルな感じです。

1年もかけて退職するのも、先に退職を決めてから行き先を決めるのも、普通のやめ方、普通の転職の仕方ではないと思いますし、万人に合うやり方ではないと思います。それでも今回のやめ方は自分に合っていたと心から思っています。

 

理解を示してくださった上司、職場の皆さんには本当に感謝しています。どうもありがとうございました。

 

「新しい行き先をどうやって決めたのか」については別のエントリーに書きます。

 

素敵な明日を