人はいくつになってもメタモルフォーゼ。若い者に何ちゃら任せてなんて言わない!
今日は先週金曜日に参加してきた通称ドの会「変態学生×変態教師×変態キ業人の会」について書いてみます。
- 変態とは何を意味しているのか?
- ちなみになんで「ドの会」なの?
- 何を目指しているのか?
- 哲学的対話とは?
- 今回のテーマ「高大接続」について知ったこと
- 「高大接続を変態させよう」の対話に途中から違和感を覚え始める
- 参加者のギャップを活かした場づくりができたのでは?
- 参加者の多様性 × テーマと参加者の関連性 × ゴールの難易度=デザイン(どうやるか)
- 気になったこと感じたこと
変態とは何を意味しているのか?
変わり者とか異常な人という意味ではなく「metamorphosis」どんどん形態を変えていく(成長したり変化したり進化したりする)学生や教師やキ業人の集まりとのことです。ちなみに「キ」がカタカナなのは、企業人・起業人どちらの意味にも取れるようにとのことでした。なるほど。
「いやー、〇〇さんは変態なんですよ、あ!変態は褒め言葉ですから」と事あるごとにフォローする様子からは、変態とは変わり者だったり異常な人のことを指してるのかなと思っていましたが、そうではないのか!と発見でした。←そこから!?w
ちなみになんで「ドの会」なの?
変態の会をド変態の会にしたら女性の参加者が減った(減るんじゃないか)ので、キャッチーな「ドの会」にしたそうです。確かに変態の会やド変態の会と言われたら、怪しさしかないですね。笑
何を目指しているのか?
「次世代の教育を創る」今の教育について問題意識を持った人たち(200人を超えるメンバー)が集まって、教育を次の形に変態させようとしている会とのことです。学校の先生は多忙極まりないと最近話題ですが、そんな中でも外に飛び出してこういう会に参加する方々がたくさんいることに嬉しい気持ちになりました。
また、これだけたくさんの人たちが皆さん口を揃えて主宰の先生を慕って参加されているのがスゴイことだなと感じました。(私もその1人であります)
おそらく自分の所属組織の中だけに止まっていてはマズイ!とか、外に出ることで学べることがたくさんある!とか、熱量の高い人たちとの交流で刺激をもらえる!とか、自分のやってることをシェアしたい!とかとか、参加してる人それぞれにいろんな理由はあると思うのですが、どんな理由であれ、一歩外に踏み出すというアクションを自ら起こす人たちはまさしく変態(metamorphosis)しようとしているよなと感じました。
私はリフレクションナイトというコミュニティを運営していますが、よくいわれるサードプレイスとして、リフレクションナイトとドの会には似たものを感じました。
哲学的対話とは?
ドの会では哲学的対話をすると聞いていたので、どんなものなのか非常に楽しみにしていましたが、 今回のドの会は番外編と言うこともあってか、哲学的対話だったのかな??と言う感じでした。
主宰の方も「今回のテーマは気持ちが入り過ぎているので」と冒頭に話されていましたし、終わった後には「今後はドの会とは別でこのテーマをやっていく」とおっしゃっていたので、これまでの会とは違ったんだなあと、後になって気づきました。次回、どんな会を予定されているかわかりせんが、ドの会の真髄を味わえることを楽しみにしています。
今回のテーマ「高大接続」について知ったこと
今回の テーマは高大接続ということで、大学入試に縁遠い私には未知の領域でした。
会の主旨としては、大学入試がいろいろ変わるよ、それによって現場は困ってて大変だし、変わる中身がイケテナイから現場発でアイデア出してこうぜ!と言う感じです。
実際にどんなことが起きているのか?についてドの会の主宰である現役高校教師の方からプレゼンがありました。ざっくりとこんな現状が起きていると私は理解しました。
- 大学の合格者の数が定員の120%から110%に引き下げられて厳格化された(特定の大学に集中することを避けるための措置)
- 減らされた10%に入ってた人たちが芋づる式に、いわゆる上位校から中位校に下りてきた
- さらに一般入試よりも前に行う推薦入試である程度の合格者数を確保する傾向が強くなった
- 行きたい大学の推薦入試が無いもしくは推薦で漏れてしまった人は一般入試にかけるしかない(これは今までと変わらない)
- がしかし、一般入試の枠が少なくなり、いわゆる上位校に受かるレベルにいて漏れてきた人たちと、その枠を争うようになったため、一般入試のハードルが高くなってしまった
- 結果、行きたい大学に行きたいと思った人が行きづらくなり、たまたま指定校推薦で行けた人はラッキーのような状況が起きている
- そんな現状がここ1,2年に起きていて現場は混乱している
- さらにこれから入試改革が始まろうとしているが、なんだかいろいろチグハグしているし、決まってないことも多くて現場は振り回されている!
現場の先生方が非常に混乱されている様子がよく分かりました。そんな大変な状況の中で、50名以上の方が集まると言うことは、今まさになんとかしなければならない問題なのだと理解しました。
自分自身の大学進学はちょうど20年前なので時代の変化があるんだろうなと言うことを感じました。私は県立高校出身で、進路指導は自らの意思で受けず、自分の評定平均でいける指定校推薦の大学にとりあえず進学しました。そんな私にとっては、おそらく今回参加されていた多数の私学の先生たちの置かれている状況(語弊がありそうですが、いわゆる上位校(本人が希望する)へ進学することをアシストする役割)はそもそも体験したことがなく、知らなかったなあと言うのが素直な感想でした。
教育改革についても、ふんわりとしか知らなかったため、初めて知ったことも多々ありました。(高校1年生のときからwebで学習履歴を登録して、そのまま大学への出願書類になる件など)
自分の子供がこれから直面することでもありますし、企業人(人事や人材育成に関わる人)として、まずは情報をキャッチして、理解をしておかねばなと痛感しました。
高大接続改革:文部科学省
2020年 教育改革 早わかり ~ 学校教育・大学入試が変わる!~|ベネッセ 教育情報サイト
「高大接続を変態させよう」の対話に途中から違和感を覚え始める
そんな状態で参加してしまったので、対話中は同じテーブルだった高校教員のお二人から現状をいろいろ教えていただく時間になってしまい、「どうしていくべき?」という変態議論ができずに終わってしまいました。予備知識を入れていくべきだったなあと反省です。なんとなく、実際に高大接続に関わっていない参加者(主にキ業人)の方々はそんな雰囲気だったように感じました。
反対に教員の皆さんなど高大接続に直接的に関わっている人たちは、直面している問題に対して感情的なものがかなり強く出ていました。熱量がすごかったです。
おそらくですが、ちょうど大学受験シーズンの終盤で希望の大学へ進学できなかった(進学させてあげられなかった)教え子たちへの想いと、新しい制度適用される新高校1年生を迎え入れる直前にも関わらず不明瞭なことだらけな状況に対する不安から、感情的なものが強く出ていたんだろうなと振り返って思いました。
参加者のギャップを活かした場づくりができたのでは?
そのような参加者間のギャップがあることはよくあることですし、ギャップがあること自体は良いのですが、そのギャップが対話の場づくりに活かされていないなあと感じました。(例えば座席を決めるときに高大接続の当事者とそうでない人が混ざるようにして対話のテーマとしても当事者でない人から客観的な意見や指摘が出てくるようにする、もしくはあえて混ぜずに両者の温度差の違いを浮き彫りにしていく・・・など)
今、書いていて気づきましたが、今回は対話をしたかったのか、議論をしたかったのか、それともどちらでもなかったのか?どうだったのだろうなと。私から見えていた状況はこんな感じでした。
- ドの会としては哲学的対話が基本スタイル
- 今回のテーマに関しては議論から新案を生み出したかった人
- 対話だと思って対話しようとしていた人
- 対話だと思っていたけど議論にシフトしていった人
- ワーッと感情的に喋っちゃった人
- 前提知識が足りないためインプット中心になった人
参加人数が過去最高で、会場に目一杯の人が入っていた中での、このような状況は主宰の方の想定を超えていたのではないかなと思われます。
参加者の多様性 × テーマと参加者の関連性 × ゴールの難易度=デザイン(どうやるか)
場のデザインを仮にこんな風に式にしてみると、今回は参加者の多様性が高く、テーマとの関連性がバラバラ(難易度的には高い)で、ゴールは何だったのか不明、な感じでした。
デザインし直すとしたら、ゴールの確認からですね。やっぱりそこから始まるよなあ。
気になったこと感じたこと
- 私学の中学高校に対する印象が変わってきた(大学受験以外のこともいろいろやってる)
- 付属高校の存在意義って何なんだろう(付属なのにどうして内部進学よりも外に行くのか?昔からの疑問)
- いろんな学校があることを知らないのはもったいない
- この会に参加する人たちは熱いけど、職場に帰ると周りが冷めている(教師も企業人も同じような人が多い)
- 先生たちもサードプレイスを求めてる
長くなりましたが、、、
このような意義ある活動が今後も継続することができるように、より良いものになるように、私も微力ながら関わりたいと思います。
素敵な明日を